株式会社ワイ・デー・ケー 70th Anniversary

History of Shinko Electric 80 YEARS

「YDKの70年を振り返る」トピックス編

吉田電機(株)としてスタートを切って70年。時代の移り変わりとともに快進撃や革新も、また逆風や試練も幾度となく経験しながら、技術を磨き続けてきました。常に挑戦をし続けてきたYDKスピリットを主な出来事とともに振り返ります。

創業期

株式会社ワイ・デー・ケー(以下YDK)のルーツは1937年に立ち上げた吉田電機製作所。

NEC からの要請で下請け協力工場として1952年に吉田電機株式会社としてスタートし、
4年後には搬送電話関連装置の製造を開始した。

1952

吉田電機株式会社としてスタート

初代社長 坂本義道氏(写真左)。 NEC の下請け協力工場として機械部品の切削で船出した(写真右)。

1959

搬送電話関連装置の製造を開始

伝送系事業をスタート(写真左)。 女性社員も急増した(写真右)。

1963

現最高顧問の坂本典之氏が入社

坂本典之氏が28歳の若さで専務取締役として入社、
事業部制のスタート、電子応用系(通信系)にも受託生産の範囲を拡大した。

発展期

コンピュータ関連事業の開始、稲城への本社移転、一貫オーダーのスタート、相次ぐ系列会社の設立など、
1960年代後半からYDKは順調に進化・発展していく。

1966

コンピュータ関連の製造を開始

1966年4月、川崎市中原区に新城工場が誕生、「リードパンチ」の製造はコンピュータ関連事業の第一歩となった。「品質管理」の土台を固める取り組み「YZD運動」も開始、“心は温かく 仕事は厳しく”のスローガンも掲げた。

1968

本社工場を現在の稲城に移転

本社工場を東京都稲城市押立に移した。4 階建てビルには大型エレベーターを導入、1978年には稲城工場内に本社機能も移転する。

1972~1974

岩手県遠野市に系列会社設立

1972(昭和47)年、遠野市に吉田通信工業、1974年には吉田精密工業を設立、それぞれ伝送装置・電子機器の組立と機械加工を担い、これらが現在の東北工場となる。

1973

冷蔵庫管理システムなどを
自社開発

1973年に「冷蔵庫管理システム」開発、その後、自社ブランドの「フロント管理システム」へと進化する。また、ラベルプリンターも自社開発品へと育っていった。

拡大期

パソコン時代が到来、その波に乗って成長し、社名も変更したYDKは、
相次ぐ事業部や工場の設立などにより、過去最高の売上を記録する。

1982

「YDK システムセンター」
をオープン

直営のパソコンショップ「YDK システムセンター」をオープン、大ヒットしたNEC「PC-9800 シリーズ」、周辺機器やソフトウェア販売のほか、パソコン教室も併設。オープン当初は日本一の規模のパソコンショップであった。

1982

社名を「ワイ・デー・ケー(YDK )」
に変更

YDK システムセンターの誕生に合わせ、社名を吉田電機からワイ・デー・ケー(YDK)に変更、その翌月には、情報システム部(今の東京工場)を本社工場に移転した。

1988

「伝送技術本部」(技術本部)
を設置

成長には技術部門の強化が不可欠だと考え伝送技術本部(現在の技術本部)を設置、1989年には伝送技術本部ビルが完成した。1985年には東北第2工場、1989年にはワイ・デー・ケー精密の新工場設立など、各事業が着実な成長・拡大を見せている。

1991

過去最高の売上高を達成

伝送通信事業部(現・東北工場)、伝送技術本部(現・技術本部)、システム事業部(現・東京工場)、メカニカル事業部(現・東北工場)、YDK システムセンター(パソコン販売事業)の5 つを柱としたYDKの1991年度通期決算の売上高は188 億5800万円に達した。

新成長期

景気後退の影響を受け、パソコン販売事業撤退、グループ3 社の合併などを行う一方、
「半導体製造装置」の受託生産開始、中国の工場設立など、新たなYDKへの模索と挑戦が続いた時期となった。

1996

主力を半導体製造装置の
受託にシフト

本社工場にクラス10,000 の「クリーンルーム」を設置した頃から、半導体製造装置の受託生産を主力事業へと育てていく。1997年には子会社「ワイ・デー・ケー九州」を設立、後にクリーンルームを擁する第2 工場を設ける。2005年には充実した設備を備えた黒川工場(東京工場)も完成。

1997

「ワイ・デー・ケー九州」設立

1995年に佐賀県鳥栖市に設置した佐賀事業所を子会社「ワイ・デー・ケー九州」として独立、のちにクリーンルームを擁する延べ床面積1146㎡の第2 工場を設けた。

2002

3カンパニー体制で再出発

景気後退に伴い製造業への特化を決断したYDKは、パソコン販売事業からの撤退、グループ3 社の合併などを経て、カンパニー制を導入して新たなスタートを切った。

2004

中国法人を設立、自社工場も
建設

昆山市に、ワイ・デー・ケーの中国法人、旺天凱精密機器(昆山)有限公司を設立。3年後には4550㎡の自社工場を設立し、現地での雇用創出でも評価を受け坂本典之CEO は「昆山市栄誉市民」に認定された。

2011

東日本大震災を経験

東日本を襲った大地震の最大の被害を受けたのは遠野市にある東北第2工場。現地社員の懸命の努力で被害からの早期復旧を実現、YDKグループ社員も救援物資の供給など全力で支援した。大震災の翌年には、稲城にある中小型の機械加工部門を岩手県遠野市の「東北工場」に集約、東北での切削加工事業の体制を固めた。

2018

宮城工場稼働で「生産能力」を2倍に

延べ床面積は4300㎡の宮城工場が稼働を開始、翌年にはロジスティクスセンターを建設、2022年には大和事業所を設立するほど順調に発展を続けている。

2022

事業の拡大加速化の継続を目指して

2022年3月期のYDKの事業内容は、電子機器の組立(EMS)、産業用設備機器の設計と組立て、精密切削加工、電子機器の設計・開発、製造(OEM/ODM)、オリジナル製品、IoT プラットフォーム製品の6本の柱で、最大の売上高となった。全売上高の約7割を占める半導体製造装置の受託生産を中心に、さまざまな産業分野の発展に寄与していく考えだ。

2022.11.18

創立70周年